CODEX ZEPHYRVS

Sine doctrina vita est quasi mortis imago.

ピリオドのその上にまた点を打つ - 僕の足跡と不完全な区切り

気分転換にブログの背景画像を前に描いた絵の背景にしてみました。

それは割とどうでもよくて、先日所属しているサークルを(一応)引退していろいろ思うところがあるので、そういうことに触れながら大学に入ってから今までのちょっとした回顧録でもしたためてみようかと思います。

1回生

僕は工学部の情報学科に入学しました。
もともとゲーム制作に携わるつもりで情報学科を志望して、基礎知識として情報学を学ぼうと考えていました。
いざ情報学科に入ってみると、そこは数学の技能が必要とされる世界でした。僕は(浪人時含め)受験生の時、数学という科目が(好きでしたが)とくに苦手だったので一瞬もうダメかもしれないと思いましたが、「まず定義があって、そこからさまざまな定理が導かれていく」という自然な流れが僕の中でしっくりきたおかげで数学に対する苦手意識が薄れていき*1、数学はそれまで大好きだった外国語や化学と同じくらい好きになっていきました。学科の指定科目以外にもいろいろな科目を勉強してみましたが、大学の勉強の難しさを感じつつもなかなか楽しめました。


春に、僕は合唱団と美術部に入りました。当時はバイトもしていなかったのでそんなに忙しくもなく、2つのサークルを掛け持ちしていく予定でやっていました。

実際のところは、入ってしばらくした頃に紆余曲折あって秋までは美術部の方にはあまり顔を出しておらず*2、合唱団の方に専ら参加していました。


秋になると授業でプログラミングをするようになりました。大学に入るまではHTMLとCSSくらいしかまともに書いたことがなかったので、プログラミングに関してはド素人でした*3。初めてのプログラミングがScheme言語だったのですが、これがなかなかサッパリで苦労した覚えがあります。単に僕が不勉強なだけだったんですが。自然言語は好きだけど、プログラミング言語はなかなか好きになれませんでした。「これはまあ簡単だからわかるよね」みたいな感じで進む授業を受けていると、高校の時に数学の授業を受けているときに感じたのと同じような苦手意識が生まれてきたのを知覚しました。3回生になった今になっても、この苦手意識がまだ残ってしまっています。

家庭教師のバイトを9月に始めました。人に教えるのはなかなか難しいなと感じつつも、こんなバイトなら楽しく続けられそうだと思いました。

秋に入ってからちょっとずつ美術部の方にも行きだしたと記憶しています。あまり顔を出していなかった割には、イベントなどをきっかけにしてだんだん馴染めていけてよかったなと、今になって思います。各展覧合わせてCG作品を5つ作成しました。

今度は逆に合唱団の方に顔を出せなくなりました。途中までは練習にも参加していたのですが、バイトで少し忙しくなったのと、家庭の事情で経済的に/精神的にキツい場面に出くわしてしまったのが要因です。この頃は体調も崩しがちで、気分も落ち込みがち*4だったのを覚えています。結局、定期演奏会はステージには立たず、観客として参加しました。


「数学や物理のレポート問題を解いている時の方が、プログラミングしている時よりも顔が輝いてる」と友人に言われたのもあって、自分が専門とするべきなのはプログラミングではないのだと悟りました。ゲームを作るとかいうかねてからの夢も、どこかへ消えつつありました。コース選択が迫ってきたのもあり、どんな研究室があるのかといろいろ研究室のWebページを覗いてみると、与えられた分子式に適合する有機化合物の構造式を列挙するアプリケーションに関する研究をしているところを見つけました。化学、とくに有機化学が好きだった僕は「化学と情報学は結びつくんだ」とただただ感動しました。

調べてみるとケモインフォマティクスという分野があることを知りました。バイオインフォマティクスという分野があるのは知っていたけど、化学を情報学で扱う分野もちゃんとあるのだと知って嬉しくなりました。この分野を勉強したい、研究したいと思うまでそんなに時間はかかりませんでした。ゲームプログラマになるという夢は完全にどこかへ行きました。

コース選択は先に述べた研究室がある数理工学コースに決めました。

2回生

無事に数理工学コースに配属され、専門の授業も増えてきました。コースの違う仲が良い友人となかなか会う機会が減ったのが悲しかった覚えがあります。

学問の道に進もうと決めてから、様々なことを勉強するのが楽しくなってきたのもあって、般教の興味ある授業や理学部の授業などを受講したり、自主ゼミなどの各種ゼミにも参加したりしました。コース指定の授業もなかなか楽しかったです。とくにグラフ理論は(行きたい研究室でやっている分野というのもありますが)大好きになりました。離散数学に興味を持ち始めました。


この頃から家庭教師のバイトにも慣れてきて、ちょっとずつ行く家庭が増えてきました。

合唱団の方では編集の役職になりました。新歓ビラや演奏会のビラ/チケット/プログラムなどを作成する役職です。これが思っていた以上に大変で、(僕としては勉強したいのに)時間を持っていかれてなかなかしんどかった覚えがあります。ひとりで全部やっていた、というのもあるんでしょうけど。春の発表会には参加したんですが、勉強に力を入れようと思って夏のジョイントコンサートが終わるまでしばらく練習をお休みすることにしました。

その間、美術部の方にはそこそこに参加していました。編集の仕事で忙しかったので作品はこの頃は全然制作できませんでしたが。


後期に入ると、コース指定科目とともに、理学部や薬学部の授業にも行きました。難しそうな数学の科目を試しに受けてみて「数学ヤバい(ヤバい)」ってなった覚えがあります笑
ゼミもやりつつ、いろんな科目を受けていたので勉強するだけでも大変でした。まぁ好きでやってたのでそれは別にいいんですが。
実験は大変だと聞いていましたが、やっぱり大変でした。レポートの生成に徹夜することも多々ありました。


合唱団は相変わらず編集のお仕事が大変でした。「1人でやった方が楽だから」とか言って本来2人でやるはずの仕事を1人で請け負ったのを大変後悔しました。結局、美術部やバイト、勉強の兼ね合いで、定期演奏会はエールとアンコールの2曲だけ歌う、という形で参加しました。

美術部の方は流石に何か作品を出したい、と思って1つCG作品出展しました。当時はいろいろあってなかなかに気が滅入っていたので、そんな感情をちょっとだけ詰めた絵を描きました。この頃からか、なぜか僕の描く絵はだんだんと僕の感情を、特にネガティブな感情を反映していくようになりました。

学祭が終わると、美術部の方で1年間Web係をすることになりました。(ちなみに編集のお仕事よりは楽でした笑)


僕の中の優先順位が、勉強、バイト、サークルの順位に決まった年でした。

3回生

受ける講義ほとんどが専門科目になりました。数学の科目が多かった割に楽しめていたのは、数学に苦手意識を抱いていた大学入学当初の僕を思い出してみるとちょっとした成長だと思います。理学部だけでなく、文学部にも行くようになっていました。自主ゼミもいくつかやりました。さらに勉強するのが楽しくなってきていました。プログラミングはやっぱりまだ苦手だけど。


家庭教師のバイトはさらに行く家庭が増えていました。ちょっとでも親の負担を減らそうと思ってバイトを増やしたわけですが、ちょっと増えすぎたようにも少々感じます。とはいえ、いつまでも親に頼ってられないのでそうはいっていられません。


サークルは美術部の方にしか顔を出さなくなっていました。さらに忙しくなったバイトのために削られる勉強の時間を埋め合わせるのに、サークルの時間が削られていきました。結局、合唱団には秋まで顔を出さず、新入生の顔も全く知らない状態でした。


後期になると、専門科目の他に工業化学科の化学の授業にも行くようになりました。化学はやっぱりやってて楽しいですね。覚えることちょっと多いけど。自主ゼミと単位が出るゼミとでゼミ充もしています。2つ目の実験はそこそこに大変だけど、まだ楽しめている方です。

進路も大体決まってきました。今はそれに向けてできることをしていこうと思っています。


家庭教師のバイトに加えて、空きコマで研究室でソフトウェアの開発を手伝うバイトもはじめました。本来は自習の時間に回そうと思っていたんですが、頼まれると断れない性格なので始めちゃいました。プログラミングが苦手な僕としてはちょっと骨が折れるけども、なんとか頑張っています。とりあえず一仕事終えるまでは頑張りたいと思います。


美術部は学祭をもって引退になりました。3回では美術部の活動には力を入れることができたので、5つのCG作品を制作することができました。美術部での出来事が楽しかった分、去るのは少々名残惜しくも思っています。京都にいる間はたまに例会に遊びに行ったり、イベントに参加したり、展覧会に絵を出したりしたいところです。

合唱団が12/20の定期演奏会で引退だったので、秋からはなるべく合唱団の練習にも行くようにしました。美術部の現役として最後の学祭のために1ヶ月ほどお休みしてしまい、なかなか練習時間が少なくて焦っていたところで風邪をひいて喉をやられてしまって、先日の定期演奏会当日に欠席することになってしまいました。「最後ぐらいは」と思っていたのですが、それが果たせなくて非常に残念で悔しいと思っています。「団プレ」といって、団員が演奏会の度にメッセージやプレゼントを贈りあう風習があって、それで結局当日に何もしなかった僕もいろいろなプレゼントを受け取って嬉しいのはやまやまなのですが、ステージに立つ予定だったのに結局立たなかった自分としてはある種の背徳感が心の奥底に残っています。団員からのメッセージを読んでいても思うところあってちょっと泣きそうになりました。
そんなわけで、できることならもう一度くらいは演奏会のステージに立ちたいと思ったのですが、また家庭教師のバイトが増えることになったのでそれも叶いそうになくて残念です。編集の役職を請け負った1回生の後輩に、編集の仕事を仕込む仕事が残っているのをしっかり片付けて、来年もせめて合唱団のイベントぐらいはしっかりと参加したいところです。

思い返すと

勉強の面では、大学に入るまでに思っていたよりもずっと多くの分野に触れたように思います。微分積分線型代数、Lebesgue積分、ベクトル解析、複素解析、Fourier解析、関数解析、超関数、特殊関数、微分方程式力学系、数値解析、最適化、グラフ理論、組合せ論、離散凸解析、確率論、数理統計、確率過程、位相空間、初等整数論、図学、多様体トポロジー群論、表現論、圏論、Lie代数、数理論理学、制御理論、待ち行列理論、情報理論、複雑ネットワーク、古典力学、電気回路、電磁気学、熱力学、解析力学、統計物理学、非線形動力学、連続体力学、量子力学、分子生物物理学、天文学、計算論、言語理論、暗号理論、論理回路人工知能パターン認識、ヒューマンインタフェース、データベース、バイオインフォマティクス、ケモインフォマティクス、有機化学、物理化学、錯体化学、生化学、天然物化学、ドイツ語、ラテン語、フランス語、シュメール語、心理学、言語学
多くの分野と言っても分野に偏りはありますし*5、もちろんこの中にはちょっと触れた程度で途中であきらめてしまったものや復習が必要なものも多くありますが、まさかこれほどやるとは(しかも数学が多いとは)高校生の頃の僕は全く想像もしていなかっただろうと思います。昔と比べれば、一応は一回りほど大きくなっているようです。今後もいろいろな分野を見つつ、自分のやりたい分野を極めていこうと思っています。


サークルに関しては結局のところ、僕はなんだかんだ美術部も合唱団も好きだったのでしょう。僕は面倒くさがりなので、正直なところ面倒だとかネガティブな感情を抱いたことは確かに何度もあったのですが、それに付けてもこうして引退とかいうピリオドを打つのを躊躇って、その上に心残りで点を付け足して"コロン"にしてまだまだ「文」を続けようとしてしまっているのはその表れなんでしょう。勝手ながら、もうちょっとだけ「文」を続けようと思います。

サークルに入って大切な友人や先輩、後輩を得ました。居心地が良くて落ち着く場所を得ました。自己表現の場を得ました。ある程度の技術を得ました。大変ありがたいことです。それと、絵を描くのも歌うのも好きだと再確認できました。絵も歌も人に想いを伝える手段なんだと再確認しました。絵も歌も、今後も続くようないい趣味になりました。

それでもいずれは「文」を終えないといけません。こんなブログみたいにだらだらと文章をつづっていても、いつかは終わらせねばなりません。美術部も合唱団も大好きな僕にとっては、ちょっとつらくて悲しいことです。

*1:未だに得意ではないですが

*2:合評という展覧会に出した作品に関して部員からコメントをもらう場があるのですが、僕が初めて見た合評が割と雰囲気怖くてちょっと引いてしまって…いつもはそうでもなかったそうなんですが

*3:「プログラミングもできない癖に情報系の学部学科に入ってくるのは意味わからん」とでも言いたそうな人をちらほら見かけますが、別にプログラミングだけが全てではないだろう、と言いたいです。僕みたいな大したことない人間が言っても聞いてもらえないだろうけど。

*4:ネガティブな性格なので割と普段からそうだけど

*5:実際生物学の一部の分野や経済学、法学、哲学なんかは全然知らない